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2011年3月

地震のこと…その2:徒歩帰宅

16時半に会社を出た時には、そのうち電車も動くだろうと楽観していました。
歩ける所まで歩こう、という感じで。
翌日、浜松の友人たちに会いにいく予定があり、その時はまだ行くつもりでいたので、泊めてもらう予定の友人へのお土産を日本橋三越で買ったりしていました。
三越は地下の食品売り場だけしか見ていませんが、16時半時点では普通に営業していました。
でも、おじいちゃんおばあちゃんたちがぎっしり座り込んでいましたが…彼らは無事に帰れたのだろうか。

三越前駅にある地図を見て、とりあえず目黒を目指し、中央通りを銀座方面に向かいました。
すでに歩道はかなりの人。
でも、日本橋くらいまでは詰まって歩きにくいというほどでもありませんでした。
休日昼間の銀座くらい。
途中、日本橋の丸善に寄り、地図を確認。
普段の通勤経路にある駅を辿るような道順で、比較的大きな通りを通って帰る道順を想定し、頭の中にたたき込みました。
後日、iphoneで経路探索したらもっと近い道順が出たのですが、この時はバッテリーの減りをできるだけ抑えたかったので使いませんでした。

京橋、銀座と歩くにつれ、人がどんどん増えてきました。
公衆電話には人が並び、タクシー乗り場とバス乗り場は例外なく長蛇の列。
私が歩いた中でいちばん混雑がひどかったのは新橋〜溜池でした。時間は多分、18時〜19時頃。
信号待ちになる度に人が溜まっていきます。
ただ、どの人もあまり刺々しさはなく、込み合う中でも比較的整然と歩いているように見えました。
私は一度の休憩を除いてどこにも寄りませんでしたが、道沿いのコンビニは込んではいても商品がからっぽというほどには見えず、ドトールなどカフェも何とか座れそうなくらいの込み具合でした。
靴屋さんには女性がたくさん。ヒールでは長い距離歩くのは大変だから…。

溜池で左折、六本木方面に向かう頃から、腰と太ももが痛くなり、少し辛くなってきました。
そして、六本木一丁目あたりと白金高輪〜白金台の上り坂と、吹きつける冷たくて強い風がきつかった。
この辺りでは少し人も少なくなってきていて、人々もどこか遠足気分で歩いているような感じにも見えました。自分の生い立ちを語りながら歩いていたりして。
どこかで休もうか…と考えながら何となく休みそびれていたのですが、白金台の坂の途中でカフェに入りました。
併設のブックオフは既に閉店していたけど、カフェは普通に開いており、温かいチャイと焼き菓子をひとつ注文。
お客さんも電車の再開をゆっくり待つことにしているのか、家が近い人ばかりなのか、何となくゆったりした人が多いように見えました。
ここで、同居人からViberで着信がありました。
でもこちらの電波が悪いせいか宇宙からの声のようにしか聞こえず、結局まともに話せずじまい。
メールは1回だけやりとりできていて、無事だとわかっていたからよかったけれど。

20分ほど休んでカフェを出ました。
かじかんだ手はまだ暖まりきっていなかったけれど、もうあと少しで目黒だし、少しでも早く家に着きたい気持ちでいっぱいでした。
文鳥たちが心配で仕方なかったのです。
目黒に行けば、バスかタクシーがつかまるかも知れないと思っていたのですが、目黒に着いてそれはまったく甘かったことを思い知らされました。
駅を何重にも取り巻く長い列。
電車は当然、まだ再開していない。
神田から目黒までで約3時間かかりました。
目黒直前で少し休んだのが幸いして、少し元気になっていたので、これは歩くしかないと肚を決めました。

ここで初めてiphone地図を使用。
今思うと、ここまでの間に使わなくて本当によかったです。
経路探索すると、目黒線の駅を順に辿っていくようなルートで1時間15分。
これなら何とか、と思い目黒を出発。
ただ、iphoneのバッテリーはこの時点で残り30%でした。
示された経路は脇道のような道がほとんどに見えたので、バッテリーが落ちたら迷うかもしれない…とかなり不安でした。

目黒駅から先は、ほとんど大きな通りを通ることはありませんでした。脇道や住宅街の中のような道ばかり。人もぐっと減り、歩きやすくはなったものの少し不安に。
ただ、目黒線の駅にひとつひとつ寄っていくルートだったので、駅に着く度に「あと○駅」と励みにはなりました。

黙々と細い道を歩き続けて、最寄りのひと駅前の駅に着いた時は「ここからなら地図なくても道わかる…」とほっとしたことを覚えています。
この時点で、バッテリー1桁。
ぶらぶら散歩している時は全然遠く感じないひと駅も、この時には脚がずっしりと重くなり、ものすごく長く感じました。

最後の難関、うちのマンションの階段4階分を上がり、21時40分に家にたどり着きました。
休憩した時間を除けば約4時間半。だいたい15kmくらいの道のりでしょうか。

オフィスでは相当ものが落ちたりしたので、家もかなり散乱しているかもしれないと覚悟してドアを開けましたが、ほとんど被害らしい被害はありませんでした。
食器類は少し落ちているものもありましたが、ひとつも割れておらず。
家の中で起こっていたことは、私の部屋のクローゼットの一部は本棚になっているのですが、その本が崩れた勢いで扉が開いたのか、本が散乱していたこと、また私の机の上の小引き出しと書類立てが落ちていたくらいでした(私の部屋ばっかり…)。
あとは、ベランダの室外機がずれていたこと。
歩き続けて家に帰って、家がぐちゃぐちゃだったら悲しくて気が抜けてしまったと思いますが、ここまで何もなかったのは幸いでした。

そして、いちばんの心配だった文鳥たち。
意地でも家に帰ろうと思った、いちばんの理由だった彼ら。
…まったく普通でした。
私の部屋はものが落ちたりしていたので、その時は怖かったと思いますが…。
いつも通り迎えてくれる彼らを見て、本当に本当にほっとしました。

同居人は電車が再開してから、日付が変わる頃になって帰ってきました。
無事だとわかってはいたけれど、帰ってきてくれた時は本当にうれしかった。

今回は歩いてもそれほど混乱なく帰れたけれど、もしもっとひどい被害が出ていたら、やはりまずはどこか避難所に身を寄せる、という選択が正しいのかもしれません。
神田〜目黒で私が歩いた経路も、首都高の高架下の道もあったので、倒壊したら通れないかもしれない。
歩いて帰るなら、帰宅マップ的なものを買って、安全な経路を考えておかないといけないなと思いました。
ただ、歩いて帰れない距離ではないというのはよくわかりました。

地震のこと…その1:揺れが起こった時

3月11日に起こった東北関東大震災について、覚え書きのつもりで少し書いてみます。
いつ何が起こるかなんて本当にわからない、それをひしひしと感じました。
忘れてしまわないように。

この日、私はオフィスにひとりでいました。
ここで働いているのは私を含め3人で、社長と勤続10数年の取締役の女性はもともと出張や外出も多く、またふたりワンセットで動く機会も多いので、私がオフィスにひとりでいることはわりとよくあることでした。
オフィスのあるビルは6階建て、1階は喫茶店と機械式駐車場の入り口、2階〜6階は各階に1つずつオフィスが入っています。
いつ建てられたのかは知りませんが、元々トイレが和式だったのを見ると、けっこう古いのでは。
場所は神田、片側1車線の道路と車が1台やっと通れるくらいの路地が交わる所に建っています。
ビルの入り口は、路地に面した側にあります。

揺れが来た時、数日前にも少し地震があったので、「あ、また…」くらいに思いました。
が、揺れは一向に収まらず逆にどんどん横揺れがひどくなり、それぞれの机の下段の重い引き出しがバーンと音を立てて開き始め、とにかく机の下に潜りました。
棚から本や書類が落ちる音、陶器が落ちて割れる音が次々にして、生きた心地がしなかった。

声を掛け合う相手もおらず、ひとりで揺れの中にいるのは本当に恐怖でした。
机の下にいる間ひたすら思ったのは、ここでひとりで死ぬのは嫌ということ。
このままここに閉じ込められたら?と思い始めると猛烈に焦りが起こり、まだ揺れが収まらない状態で、何も持たずにビルの外に飛び出してしまいました。

建物の外に出ている人はかなりおり、とにかく人の近くにいたくて、ふらふらと何となく人のいる方へ近づいていました。
歯の根が合わないくらい震えている状態でした。
しばらくそうして人のいる場所で立ち尽くしていたけれど、携帯もバッグも持たず、コートも着ずに出てきていたし、とっちらかったオフィスをそのままにしておくのもどうかと思い、とりあえず戻りました。
まずコートを着てバッグを提げ、いつでも出られる状態にした上で、ネットで地震情報を見ていたり、とにかく何か人に言葉を発したくて、twitterに書き込んだりしていました。
余震が何度も起こるので、やっぱり怖くて今度はそのまま帰れる状態で外に出ました。

うちのビルの前の細い路地を通って中央通りに出ました。
後で考えると、この路地、地震の時には通らない方がよさそう。
電柱も電線も細い道の上にたくさんあるし、古い飲食店の建物なんかもあるし。
中央通りは、車道側にまでたくさんの人が不安げに固まっていました。
でも、パニックになりそうな緊迫した状態ではなく、わりとみんな落ち着いているように見えました。
そうした人たちの中で何度か会社の人、同居人に電話をかけてみましたが、全くダメでした。
中央通り沿いでは、ガラスが割れて落ちてきたビルや、そこまでいかなくともヒビが入ってしまっているビルもいくつか見かけました。
みんなでヘルメットかぶって集団で移動している人たちも。
その頃には少し気持ちも落ち着いてきて、ATMで少しお金を下ろしたりしました。

落ち着いたと言えど、会社に戻るにはちょっと勇気がいりましたが、やはりちょっとでも片付けなければと思い、こわごわと戻ってみました。
オープン棚にあった陶器類はかなり落ちており、半分近く割れていました。
まず、その大きな破片を新聞紙でくるみ、ガムテープで細かい破片をぺたぺたして取り。
開いた机の引き出しを閉め。
私の机はほとんど何も落ちていなかったけれど、あと2人の机からはかなりのものが落ちていたので、それを適当に机の上に載せ。
本棚から落ちてきていた本やカタログ類をこれも適当に戻し。
倒れていた鉢いくつかを立て。
早くオフィスから出たい気持ちからそうした作業をいつもではありえない速度でやり、とにかく帰ることに決めました。
会社の人に向けた簡単なメモを扉に貼り、オフィスを出たのは16時半頃でした。

この時、助けられたのはtwitterでした。
誰とも電話もメールも通じない中、twitterでは私のつぶやきに対して、友人たちが「帰っちゃえ」「早く帰った方がいいよ」とリプライしてくれました。
ひとりでいる中、そうして声をかけてくれた人がいたのは本当に心強かったです。

電車は止まっているだろうけど、そのうち動くだろうからそこまでは歩こうと、その時はそんなつもりで会社を出ました。

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