地震のこと…その2:徒歩帰宅
16時半に会社を出た時には、そのうち電車も動くだろうと楽観していました。
歩ける所まで歩こう、という感じで。
翌日、浜松の友人たちに会いにいく予定があり、その時はまだ行くつもりでいたので、泊めてもらう予定の友人へのお土産を日本橋三越で買ったりしていました。
三越は地下の食品売り場だけしか見ていませんが、16時半時点では普通に営業していました。
でも、おじいちゃんおばあちゃんたちがぎっしり座り込んでいましたが…彼らは無事に帰れたのだろうか。
三越前駅にある地図を見て、とりあえず目黒を目指し、中央通りを銀座方面に向かいました。
すでに歩道はかなりの人。
でも、日本橋くらいまでは詰まって歩きにくいというほどでもありませんでした。
休日昼間の銀座くらい。
途中、日本橋の丸善に寄り、地図を確認。
普段の通勤経路にある駅を辿るような道順で、比較的大きな通りを通って帰る道順を想定し、頭の中にたたき込みました。
後日、iphoneで経路探索したらもっと近い道順が出たのですが、この時はバッテリーの減りをできるだけ抑えたかったので使いませんでした。
京橋、銀座と歩くにつれ、人がどんどん増えてきました。
公衆電話には人が並び、タクシー乗り場とバス乗り場は例外なく長蛇の列。
私が歩いた中でいちばん混雑がひどかったのは新橋〜溜池でした。時間は多分、18時〜19時頃。
信号待ちになる度に人が溜まっていきます。
ただ、どの人もあまり刺々しさはなく、込み合う中でも比較的整然と歩いているように見えました。
私は一度の休憩を除いてどこにも寄りませんでしたが、道沿いのコンビニは込んではいても商品がからっぽというほどには見えず、ドトールなどカフェも何とか座れそうなくらいの込み具合でした。
靴屋さんには女性がたくさん。ヒールでは長い距離歩くのは大変だから…。
溜池で左折、六本木方面に向かう頃から、腰と太ももが痛くなり、少し辛くなってきました。
そして、六本木一丁目あたりと白金高輪〜白金台の上り坂と、吹きつける冷たくて強い風がきつかった。
この辺りでは少し人も少なくなってきていて、人々もどこか遠足気分で歩いているような感じにも見えました。自分の生い立ちを語りながら歩いていたりして。
どこかで休もうか…と考えながら何となく休みそびれていたのですが、白金台の坂の途中でカフェに入りました。
併設のブックオフは既に閉店していたけど、カフェは普通に開いており、温かいチャイと焼き菓子をひとつ注文。
お客さんも電車の再開をゆっくり待つことにしているのか、家が近い人ばかりなのか、何となくゆったりした人が多いように見えました。
ここで、同居人からViberで着信がありました。
でもこちらの電波が悪いせいか宇宙からの声のようにしか聞こえず、結局まともに話せずじまい。
メールは1回だけやりとりできていて、無事だとわかっていたからよかったけれど。
20分ほど休んでカフェを出ました。
かじかんだ手はまだ暖まりきっていなかったけれど、もうあと少しで目黒だし、少しでも早く家に着きたい気持ちでいっぱいでした。
文鳥たちが心配で仕方なかったのです。
目黒に行けば、バスかタクシーがつかまるかも知れないと思っていたのですが、目黒に着いてそれはまったく甘かったことを思い知らされました。
駅を何重にも取り巻く長い列。
電車は当然、まだ再開していない。
神田から目黒までで約3時間かかりました。
目黒直前で少し休んだのが幸いして、少し元気になっていたので、これは歩くしかないと肚を決めました。
ここで初めてiphone地図を使用。
今思うと、ここまでの間に使わなくて本当によかったです。
経路探索すると、目黒線の駅を順に辿っていくようなルートで1時間15分。
これなら何とか、と思い目黒を出発。
ただ、iphoneのバッテリーはこの時点で残り30%でした。
示された経路は脇道のような道がほとんどに見えたので、バッテリーが落ちたら迷うかもしれない…とかなり不安でした。
目黒駅から先は、ほとんど大きな通りを通ることはありませんでした。脇道や住宅街の中のような道ばかり。人もぐっと減り、歩きやすくはなったものの少し不安に。
ただ、目黒線の駅にひとつひとつ寄っていくルートだったので、駅に着く度に「あと○駅」と励みにはなりました。
黙々と細い道を歩き続けて、最寄りのひと駅前の駅に着いた時は「ここからなら地図なくても道わかる…」とほっとしたことを覚えています。
この時点で、バッテリー1桁。
ぶらぶら散歩している時は全然遠く感じないひと駅も、この時には脚がずっしりと重くなり、ものすごく長く感じました。
最後の難関、うちのマンションの階段4階分を上がり、21時40分に家にたどり着きました。
休憩した時間を除けば約4時間半。だいたい15kmくらいの道のりでしょうか。
オフィスでは相当ものが落ちたりしたので、家もかなり散乱しているかもしれないと覚悟してドアを開けましたが、ほとんど被害らしい被害はありませんでした。
食器類は少し落ちているものもありましたが、ひとつも割れておらず。
家の中で起こっていたことは、私の部屋のクローゼットの一部は本棚になっているのですが、その本が崩れた勢いで扉が開いたのか、本が散乱していたこと、また私の机の上の小引き出しと書類立てが落ちていたくらいでした(私の部屋ばっかり…)。
あとは、ベランダの室外機がずれていたこと。
歩き続けて家に帰って、家がぐちゃぐちゃだったら悲しくて気が抜けてしまったと思いますが、ここまで何もなかったのは幸いでした。
そして、いちばんの心配だった文鳥たち。
意地でも家に帰ろうと思った、いちばんの理由だった彼ら。
…まったく普通でした。
私の部屋はものが落ちたりしていたので、その時は怖かったと思いますが…。
いつも通り迎えてくれる彼らを見て、本当に本当にほっとしました。
同居人は電車が再開してから、日付が変わる頃になって帰ってきました。
無事だとわかってはいたけれど、帰ってきてくれた時は本当にうれしかった。
今回は歩いてもそれほど混乱なく帰れたけれど、もしもっとひどい被害が出ていたら、やはりまずはどこか避難所に身を寄せる、という選択が正しいのかもしれません。
神田〜目黒で私が歩いた経路も、首都高の高架下の道もあったので、倒壊したら通れないかもしれない。
歩いて帰るなら、帰宅マップ的なものを買って、安全な経路を考えておかないといけないなと思いました。
ただ、歩いて帰れない距離ではないというのはよくわかりました。

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