カテゴリー「日々のつれづれ」の14件の記事

地震のこと…その3:小鳥の備え

あの大地震とその後の余震の中、我が家でもっとも平然としていたのはうちの文鳥たちでした。

でも、もし避難しなければならない程の地震が来た時に、私が守らなければならないのは第一にこの小鳥たちなのです。

(同居人は一応大人の男なので大丈夫だろうという認識)

まず考えられるのは、今回のように仕事中に地震が来て、数日家に戻れなくなること。

エサのストックはもともとかなり多めにしているので備蓄という点では大丈夫だけど、ケージに入れているエサは、選り好みが過ぎないようにと思い1.5日分くらいでした。

あの地震の日からは、エサは3日くらいは耐えられそうな量を常に入れておくことにしました。

水はバナナ水入れを使っているので、多分3日くらいはもつと思います。

そして、もし文鳥連れで避難しなければならなくなったら。

神戸の猫カフェならぬ小鳥カフェ「とりみカフェ ぽこの森」さんのブログに、小鳥避難セットの説明を発見しました。

http://ameblo.jp/torimicafe/entry-10829837685.html

自分に何もなければ、家にあるもので最低限小鳥を守って、避難することはできそうです。

ただ…自分に何かあればどうしようもないし、何とか帰ってみたら家に入れない…ということもあり得るでしょう。

こればかりは、それが起こらないように願うしかありません。

震災関連の報道で、最近ペットの話題も目にするようになってきました。

そういうニュースはやっぱり犬猫中心になりますが、地震や津波で亡くなってしまった小鳥も、おそらく多くいるのでしょう。

それを思うと、ただただつらく悲しいばかりです。

聞いた話ですが…

人も動物も、死んだあとは虹の橋を渡ってあの世へ行きます。

自分より先に亡くなったペットは、その後飼い主が死んで虹の橋を渡る時、あの世側の橋のたもとまで迎えに来てくれるのだそうです。

…少しだけ、希望が差すような優しい話だと思います。

地震のこと…その2:徒歩帰宅

16時半に会社を出た時には、そのうち電車も動くだろうと楽観していました。
歩ける所まで歩こう、という感じで。
翌日、浜松の友人たちに会いにいく予定があり、その時はまだ行くつもりでいたので、泊めてもらう予定の友人へのお土産を日本橋三越で買ったりしていました。
三越は地下の食品売り場だけしか見ていませんが、16時半時点では普通に営業していました。
でも、おじいちゃんおばあちゃんたちがぎっしり座り込んでいましたが…彼らは無事に帰れたのだろうか。

三越前駅にある地図を見て、とりあえず目黒を目指し、中央通りを銀座方面に向かいました。
すでに歩道はかなりの人。
でも、日本橋くらいまでは詰まって歩きにくいというほどでもありませんでした。
休日昼間の銀座くらい。
途中、日本橋の丸善に寄り、地図を確認。
普段の通勤経路にある駅を辿るような道順で、比較的大きな通りを通って帰る道順を想定し、頭の中にたたき込みました。
後日、iphoneで経路探索したらもっと近い道順が出たのですが、この時はバッテリーの減りをできるだけ抑えたかったので使いませんでした。

京橋、銀座と歩くにつれ、人がどんどん増えてきました。
公衆電話には人が並び、タクシー乗り場とバス乗り場は例外なく長蛇の列。
私が歩いた中でいちばん混雑がひどかったのは新橋〜溜池でした。時間は多分、18時〜19時頃。
信号待ちになる度に人が溜まっていきます。
ただ、どの人もあまり刺々しさはなく、込み合う中でも比較的整然と歩いているように見えました。
私は一度の休憩を除いてどこにも寄りませんでしたが、道沿いのコンビニは込んではいても商品がからっぽというほどには見えず、ドトールなどカフェも何とか座れそうなくらいの込み具合でした。
靴屋さんには女性がたくさん。ヒールでは長い距離歩くのは大変だから…。

溜池で左折、六本木方面に向かう頃から、腰と太ももが痛くなり、少し辛くなってきました。
そして、六本木一丁目あたりと白金高輪〜白金台の上り坂と、吹きつける冷たくて強い風がきつかった。
この辺りでは少し人も少なくなってきていて、人々もどこか遠足気分で歩いているような感じにも見えました。自分の生い立ちを語りながら歩いていたりして。
どこかで休もうか…と考えながら何となく休みそびれていたのですが、白金台の坂の途中でカフェに入りました。
併設のブックオフは既に閉店していたけど、カフェは普通に開いており、温かいチャイと焼き菓子をひとつ注文。
お客さんも電車の再開をゆっくり待つことにしているのか、家が近い人ばかりなのか、何となくゆったりした人が多いように見えました。
ここで、同居人からViberで着信がありました。
でもこちらの電波が悪いせいか宇宙からの声のようにしか聞こえず、結局まともに話せずじまい。
メールは1回だけやりとりできていて、無事だとわかっていたからよかったけれど。

20分ほど休んでカフェを出ました。
かじかんだ手はまだ暖まりきっていなかったけれど、もうあと少しで目黒だし、少しでも早く家に着きたい気持ちでいっぱいでした。
文鳥たちが心配で仕方なかったのです。
目黒に行けば、バスかタクシーがつかまるかも知れないと思っていたのですが、目黒に着いてそれはまったく甘かったことを思い知らされました。
駅を何重にも取り巻く長い列。
電車は当然、まだ再開していない。
神田から目黒までで約3時間かかりました。
目黒直前で少し休んだのが幸いして、少し元気になっていたので、これは歩くしかないと肚を決めました。

ここで初めてiphone地図を使用。
今思うと、ここまでの間に使わなくて本当によかったです。
経路探索すると、目黒線の駅を順に辿っていくようなルートで1時間15分。
これなら何とか、と思い目黒を出発。
ただ、iphoneのバッテリーはこの時点で残り30%でした。
示された経路は脇道のような道がほとんどに見えたので、バッテリーが落ちたら迷うかもしれない…とかなり不安でした。

目黒駅から先は、ほとんど大きな通りを通ることはありませんでした。脇道や住宅街の中のような道ばかり。人もぐっと減り、歩きやすくはなったものの少し不安に。
ただ、目黒線の駅にひとつひとつ寄っていくルートだったので、駅に着く度に「あと○駅」と励みにはなりました。

黙々と細い道を歩き続けて、最寄りのひと駅前の駅に着いた時は「ここからなら地図なくても道わかる…」とほっとしたことを覚えています。
この時点で、バッテリー1桁。
ぶらぶら散歩している時は全然遠く感じないひと駅も、この時には脚がずっしりと重くなり、ものすごく長く感じました。

最後の難関、うちのマンションの階段4階分を上がり、21時40分に家にたどり着きました。
休憩した時間を除けば約4時間半。だいたい15kmくらいの道のりでしょうか。

オフィスでは相当ものが落ちたりしたので、家もかなり散乱しているかもしれないと覚悟してドアを開けましたが、ほとんど被害らしい被害はありませんでした。
食器類は少し落ちているものもありましたが、ひとつも割れておらず。
家の中で起こっていたことは、私の部屋のクローゼットの一部は本棚になっているのですが、その本が崩れた勢いで扉が開いたのか、本が散乱していたこと、また私の机の上の小引き出しと書類立てが落ちていたくらいでした(私の部屋ばっかり…)。
あとは、ベランダの室外機がずれていたこと。
歩き続けて家に帰って、家がぐちゃぐちゃだったら悲しくて気が抜けてしまったと思いますが、ここまで何もなかったのは幸いでした。

そして、いちばんの心配だった文鳥たち。
意地でも家に帰ろうと思った、いちばんの理由だった彼ら。
…まったく普通でした。
私の部屋はものが落ちたりしていたので、その時は怖かったと思いますが…。
いつも通り迎えてくれる彼らを見て、本当に本当にほっとしました。

同居人は電車が再開してから、日付が変わる頃になって帰ってきました。
無事だとわかってはいたけれど、帰ってきてくれた時は本当にうれしかった。

今回は歩いてもそれほど混乱なく帰れたけれど、もしもっとひどい被害が出ていたら、やはりまずはどこか避難所に身を寄せる、という選択が正しいのかもしれません。
神田〜目黒で私が歩いた経路も、首都高の高架下の道もあったので、倒壊したら通れないかもしれない。
歩いて帰るなら、帰宅マップ的なものを買って、安全な経路を考えておかないといけないなと思いました。
ただ、歩いて帰れない距離ではないというのはよくわかりました。

地震のこと…その1:揺れが起こった時

3月11日に起こった東北関東大震災について、覚え書きのつもりで少し書いてみます。
いつ何が起こるかなんて本当にわからない、それをひしひしと感じました。
忘れてしまわないように。

この日、私はオフィスにひとりでいました。
ここで働いているのは私を含め3人で、社長と勤続10数年の取締役の女性はもともと出張や外出も多く、またふたりワンセットで動く機会も多いので、私がオフィスにひとりでいることはわりとよくあることでした。
オフィスのあるビルは6階建て、1階は喫茶店と機械式駐車場の入り口、2階〜6階は各階に1つずつオフィスが入っています。
いつ建てられたのかは知りませんが、元々トイレが和式だったのを見ると、けっこう古いのでは。
場所は神田、片側1車線の道路と車が1台やっと通れるくらいの路地が交わる所に建っています。
ビルの入り口は、路地に面した側にあります。

揺れが来た時、数日前にも少し地震があったので、「あ、また…」くらいに思いました。
が、揺れは一向に収まらず逆にどんどん横揺れがひどくなり、それぞれの机の下段の重い引き出しがバーンと音を立てて開き始め、とにかく机の下に潜りました。
棚から本や書類が落ちる音、陶器が落ちて割れる音が次々にして、生きた心地がしなかった。

声を掛け合う相手もおらず、ひとりで揺れの中にいるのは本当に恐怖でした。
机の下にいる間ひたすら思ったのは、ここでひとりで死ぬのは嫌ということ。
このままここに閉じ込められたら?と思い始めると猛烈に焦りが起こり、まだ揺れが収まらない状態で、何も持たずにビルの外に飛び出してしまいました。

建物の外に出ている人はかなりおり、とにかく人の近くにいたくて、ふらふらと何となく人のいる方へ近づいていました。
歯の根が合わないくらい震えている状態でした。
しばらくそうして人のいる場所で立ち尽くしていたけれど、携帯もバッグも持たず、コートも着ずに出てきていたし、とっちらかったオフィスをそのままにしておくのもどうかと思い、とりあえず戻りました。
まずコートを着てバッグを提げ、いつでも出られる状態にした上で、ネットで地震情報を見ていたり、とにかく何か人に言葉を発したくて、twitterに書き込んだりしていました。
余震が何度も起こるので、やっぱり怖くて今度はそのまま帰れる状態で外に出ました。

うちのビルの前の細い路地を通って中央通りに出ました。
後で考えると、この路地、地震の時には通らない方がよさそう。
電柱も電線も細い道の上にたくさんあるし、古い飲食店の建物なんかもあるし。
中央通りは、車道側にまでたくさんの人が不安げに固まっていました。
でも、パニックになりそうな緊迫した状態ではなく、わりとみんな落ち着いているように見えました。
そうした人たちの中で何度か会社の人、同居人に電話をかけてみましたが、全くダメでした。
中央通り沿いでは、ガラスが割れて落ちてきたビルや、そこまでいかなくともヒビが入ってしまっているビルもいくつか見かけました。
みんなでヘルメットかぶって集団で移動している人たちも。
その頃には少し気持ちも落ち着いてきて、ATMで少しお金を下ろしたりしました。

落ち着いたと言えど、会社に戻るにはちょっと勇気がいりましたが、やはりちょっとでも片付けなければと思い、こわごわと戻ってみました。
オープン棚にあった陶器類はかなり落ちており、半分近く割れていました。
まず、その大きな破片を新聞紙でくるみ、ガムテープで細かい破片をぺたぺたして取り。
開いた机の引き出しを閉め。
私の机はほとんど何も落ちていなかったけれど、あと2人の机からはかなりのものが落ちていたので、それを適当に机の上に載せ。
本棚から落ちてきていた本やカタログ類をこれも適当に戻し。
倒れていた鉢いくつかを立て。
早くオフィスから出たい気持ちからそうした作業をいつもではありえない速度でやり、とにかく帰ることに決めました。
会社の人に向けた簡単なメモを扉に貼り、オフィスを出たのは16時半頃でした。

この時、助けられたのはtwitterでした。
誰とも電話もメールも通じない中、twitterでは私のつぶやきに対して、友人たちが「帰っちゃえ」「早く帰った方がいいよ」とリプライしてくれました。
ひとりでいる中、そうして声をかけてくれた人がいたのは本当に心強かったです。

電車は止まっているだろうけど、そのうち動くだろうからそこまでは歩こうと、その時はそんなつもりで会社を出ました。

時の過ぎるのは早くて

友人から再婚すると聞き、さらに別の友人も結婚することになったと知る。

ずっとその場所にいるような気がしてたふたりの友だちが、そこから旅立っていく。

彼女たちと一緒にいた頃は私はまだ20代の半ば。

もう5年以上も経ったんだ、変わることは変わっていくもの。

東京生活も6年目になった。

何度も仕事を変えて、病気になって、お金がなくて、どんどん落ちて行くだけのように感じていた日々も、気がつけば通り抜けていた。

ひとりだけの生活に、小鳥が1羽加わり、住む場所を変えてふたりと1羽暮らしになり、今ではふたりと2羽暮らし。

何とか、遠くから差す光を感じられるような場所に来られたのかもしれない。

でも、足元はまだ不安定な気はする。

昨日お医者に行ったら、薬を減らそうということになった。

はらりと薄紙がはがれた気分。

これから何をしていこう、何ができるだろう。

梅干しづくり…その2:本漬け

梅を仕込んでから約20日。

oisixで定期ボックスと一緒に注文した赤じそが届いたので、本漬け作業をすることに。

本当は、どちらかというと白梅干しの方が好きなのだけど、赤梅酢が上がるのを見たくて赤じそを使うことにした。

買った赤じそは300g。

使う分量は梅の1割分の250gだけど、多分、茎や色のよくない葉なんかを除ければそれくらいになると思ったので、きっちり250g計らずにそのまま仕分けすることにした。

しそ300gはけっこうな量で、仕分けにも時間がかかりそう。

そこで、同居人にお願いしてちょっとやってもらったら、10分で逃げられた。

孤独に大量のしその仕分けを終え、次は塩であく抜き。

ボウルからあふれるほどの量だったしそは、塩をふってもんでいるうちにどんどんカサが減っていく。

そして、濁った紫色の泡が出てくる。これがアクだろうか。

一度その泡を捨て、水で洗って、塩を少し足してさらにもむ。

今度は泡のない紫の汁が出てきた。

その汁も捨てて、きゅーっとしそを絞っておく。

Umeboshiそして、梅干しのかめを開ける。

しばらく覗いてなかったのでどうなってるか少し不安だったけど、梅は比較的きれいにかめのなかに収まっていた。

形が少し梅干しっぽくなってきている。

ただ、1個だけ何か白いものがついている梅が。

カビのようだけど、テープのりの如くぴろーんときれいにはがれて、はがれた跡も腐っているわけでもなく、きれいなまま。

どこかで読んだ「梅干しの白いカビは特に気にしなくてよい」というShisoduke記述を都合よく思い出し、白い何かをはがした梅は焼酎で洗ってかめに戻してしまった。

大丈夫…だと思う、多分。

それから、さっきもんだ赤じそをほぐして梅の上に広げる。

次に、押しぶた(普段使っている平皿で代用)を載せてぎゅっと押すと、少しだけ赤く染まった梅酢が押しぶたの縁に上がってきた。

そこに1kgの重石を載せて、完了。

数時間後に中を覗いてみると、梅酢はさらにきれいな赤になっていた。

Akaumezu

よしよし。

あとは土用干しを待つばかり。

人生初の梅干しづくり

20代の頃から、いつかは挑戦してみたいと思っていた梅干し。

三十路に入って1年半、女三十やはり梅ぐらい漬けられなくては!と思いは強迫観念に近くなり、今年ついに決行いたしました。

何ごとも形から入るのが私のやり方。

漬ける容器は、常滑焼の茶色いかめと迷った上で、野田琺瑯の白い保存容器に決定。

重石はポリエチレンのものがたくさんあるし安いけれど、ここはやっぱり陶器でしょうと、常滑焼の押しぶた兼用の2.2㎏のものと、1kgの重石を購入。

…一度漬けて懲りるかもしれないのに、何もこんなに気合い入れて揃えなくてもと自分でも心の端っこで思っているんだけど、こうしてあれこれ選んで買い揃えていく過程も楽しいんだからしょうがない。Ume_2

そして主役の梅は、紀州 田舎の小さな八百屋さんで、南高梅3kgを19日着で予約。

ここでは3kgが最少量だったのだけど、それではちょっと多いかなと思ったので、1kgは梅シロップに回し、残りの2kgを梅干しにしようと計画。

6月19日土曜日のお昼前、クール便で梅が到着。

めりめりと箱を開けると、ふわっと桃に似た香りが。

なんとも器量よしな梅たちに感動。

若干青みが残っていたので、1日追熟させ、20日に作業することにしました。

<梅シロップ編>

まずは保存瓶を買いに近くのスーパーへ。

並んでいるのを見ていたのでここなら確実と思っていたのに、すでに消えていた…。

普通、梅シロップや梅酒は青梅で漬けるもの。

青梅のピークはもう過ぎているので、一緒に撤去されてしまったらしい。

しょうがないので、家にある小さめの保存瓶を使うことにした。

確実に1kgは入らないので、500gに変更。

材料は、梅、梅と同量の砂糖(今回はきび砂糖を使用)、お酢少し。

洗ってなり口を取り、水気をふいた梅と砂糖を交互に消毒した瓶に入れていく。

うっ。梅は何とか入ったものの、砂糖が入りきらない。

数秒の思案の末、しばらく寝かせてかさが減った頃に残りの砂糖と酢を足すということで自分を納得させた。

<梅干し編>

作り方は、尊敬する辰巳芳子の方法をたどることに決めていた。

ただし、買った梅の説明書きに「新鮮だからあく抜きしなくても大丈夫」と書いてあったため、一晩水にさらす手順は省いた。

…単に忘れていたのだけど。

塩の量は梅の15%。今回は梅2.5kgなので塩は375g。

まず、かめに熱湯をかけ回し、そのあと焼酎をしみこませたキッチンペーパーで拭いて消毒。

梅を洗い、なり口をとり、水気をふき、焼酎でころがし洗いし、塩をまぶしつけてかめの中へ…という手順なんだけど、梅2.5kg全部を一度に洗ったりできるような容器もスペースもうちにはない。

というわけで、床に置いた箱から煮物用の大鉢に梅を入るだけ入れる→鉢の中で洗う→なり口をとってざるに上げる→パスタ皿に焼酎を入れておき梅にまぶす→塩を入れたボウルに3個くらいずつ梅を入れて塩をまぶしつけ、かめに入れる……という作業をちまちまと7回ほど繰り返し、すべての梅をかめに納めた。

辰巳芳子の本に、梅の香りに包まれて作業をする、とあったけれど、実際にやってみるまではぴんと来なかった。

田舎に育って、近くに梅の木もたくさんあったのに、生の梅に匂いがあると思ったことがなかった。

今回完熟梅を扱ってみて、初めて梅の実の香りを感じることができた。

部屋に一晩置いているだけでもほんのり香りが漂う感じだったけれど、実際に手で触れ、水で洗うともっと香りが立つ。

桃をもう少しすっきりさせたような、きれいな匂い。

その匂いのせいで気持ちよく作業できるのだけど、こまごました手順を繰り返すのは多少骨が折れる。

Umeboshi毎年何十kgも漬ける人はどうしてるんだろう…。

でも、梅のなり口を竹串で取るのは好き。

串の先に近い方を持って、なり口をくりっとするとぽろっと取れる。

なり口取るバイトがあったら1週間くらいやってもいい。

…すべての梅をかめに入れ、残りの塩を上からふり、押しぶた兼重石を載せて、内ぶたと外ぶたをして、終了。

うまくいけば、4、5日後に白梅酢が上がるはず。

たのしみたのしみ。

株のはなし

同居人は株をやっている。

資産のほとんどは株で持っている状態で、預貯金ほとんどなし。

大丈夫なんかと思うけど、わりと手堅くやっているらしく、大損まではしていないよう。

(が、大儲けもしてない)

次は何の株を買うか考えるのがとても楽しいらしい。

今、株どうなの?と聞けば、あれはちょっと儲かってこれはちょっと決算悪くて下がってどうのこうの…とよくしゃべるしゃべる。

そんなに面白いのかなぁとちょっと私も心が動くけど、表に並んでる変な棒が「ローソク足」ということも最近教えてもらったばかりだし、「空売り」に至っては何度説明されてもよくわからない。

それに何より、投資に回すような余裕資金がないったら。

でも彼は楽しそうだしお金を増やす手段を知るのはよいことだと思ったので、初心者向けサイトで勉強してみることにした。

見つけたのは、&Dというサイトhttp://andy-net.jp/

そこでクイズに答えるなどするとコインが貯まり、それを使って1コイン1万円換算でバーチャル投資ができる。

150くらいはすぐ貯まるので、70コイン(70万円分)を口座に入れて、株買ってみた。

最初に買ったのはカゴメ。王道っぽくてちょっと恥ずかしいけど。

それから、やっぱり出版を応援したいなぁとインプレス。

そして、高かったのでちょっと迷ったけど、良品計画。

初心者っぽいラインナップです。

今日の時点では1,000円程度利益が出ている状態。

バーチャルなんだけどやり始めるといろいろ気になって、何度もチャートを見たり、みん株http://minkabu.jp/やShares http://www.shares.ne.jp/で掲示板やコラムを読んだり。

そうすると、やっぱり数字を読み込むことが大切らしいということがうすうすわかってくる。

彼も「テクニカル分析なんて当てにならない。財務諸表を分析するのが大切」と言っていた。

昔から数字は苦手。今も仕事で決算発表の記者発表に行くことがあるけど、いつも爆烈に眠いのを我慢している状態だし。

でも、自分の儲けにかかわるとなると(バーチャルだけど)話は別になるらしい。

今日、息抜きがてら本屋に行って、『財務3表一体理解法』なる新書を買ってきてしまった。

リアルに投資するなら冬のボーナスもらってからかな。

せめて完全にバカにされるレベルからは抜け出したいものです…。

再びラジオ生活、そしてラジオの思い出

昨日ananを立ち読みしていて、IPサイマルラジオradiko.jpのiphoneアプリがあると知りさっそくダウンロードしてみた。

今日の朝、通勤時にinterFMを選んで聴いてみる。

口コミで読んだ通り、バッファ時間を3分にしておくと地下鉄でもほとんど切れない。

音もいいし、流れている曲名も画面でわかるし、ラジオが再び身近になったようでちょっとうれしい。

昨年の5月に同棲を始めるまでは、朝はラジオ派だった。

子どもの頃から、朝食の時はテレビをつけるのではなく、ラジオ。

高校での寮生活、大学に入ってからのひとり暮らしでも、テレビを見るよりラジオを聞いている時間の方が長かった。

けれど、同棲を機に15歳から使っていたCDラジカセを処分して、ラジオからは少し遠ざかっていた。

中学2~3年の頃、よく聞いていたのは平日夜22時から(だったと思う)の「赤坂泰彦のミリオンナイツ」。

深刻な悩みでも、おバカなネタでも何でも受け止める、赤坂さんの兄貴ぶりに惚れていた。

音楽も、流行り歌から、かっこいい洋楽まで何でも流していた。

学校でも、男子ではミリオンナイツを聞いている子が少しいて、前日のオンエアの話題でよく盛り上がっていた。

卒業の時、私と同じように別の街の高校に行くリスナー仲間の男の子が書いてくれたサイン帳のページには「高校に行ってもミリオンナイツ聞くよ!」と書いてあって、少しじーんとしたのを覚えている。

高校でも、同じクラスでリスナーを発見。

火曜日23時からの「うさんくさいポップス」コーナーがお互いお気に入りで、水曜日はそれを思いだして一緒に笑ったり、マネしてみたり。

(しかし、おばけのQ太郎英語バージョンとか、よくあれだけいろいろ見つけてきたもんだ)

「ピエールとカトリーヌ」は、彼女がピエール、私がカトリーヌでよくマネして歌ってた。

ちょっとさわっていいかしら♪…とかね。

ミリオンナイツは確か私が高校生のうちに終わってしまったと思うけど、JET STREAMとか日曜日11時のキユーピーのハート・オブ・サンデーとか、ずっと好きだった。

社会人になって埼玉に住んでいた頃、朝のお気に入りだったのはTOKYO FMのクロノス。

八代英輝がパーソナリティーを務めている時期があり、彼の存在はこの番組で初めて知った。

何しろ声がよかったし、優しそうなその声で鋭いことやわりと黒いことを朝から言うのも面白かった。

編プロで仕事をしていた頃、とあるサイトのインタビューコーナーで取り上げる人を探して交渉してほしいと言われて、真っ先に思いついたのは、毎朝声を聞いている八代英輝だった。

事務所にコンタクトをとってみたものの、話が全然進展しない上に担当者がなかなかつかまらず、半ば諦めた頃になって急に向こうから連絡が来た。

いろいろ条件がついたけれど、周りの知恵と協力で何とかクリアして、インタビューを受けてもらえることになった。

毎朝いつも元気をもらっている声の主に会えたということ、インタビューの中でラジオの話ができて、それを原稿にして載せることができたこと、ついでにリスナーだと伝えられたことは、本当にいい思い出になった。

radiko.jpを使ってみるとき、ちょっとドキドキした。

どんな曲が聴けるかな、どんな人やどんな話と出会えるかな。

ラジオの、そういうわくわくする感じが好きなのかなと思う。

今日のinterFM、ピーター・バラカンの番組はマイナー(私が知らないだけかも)な洋楽も聴けて面白かったよ。

週末ランニング始めました

君は運動不足だ、やせたいなら食べることだけ気にするんじゃなくて体動かさないかん…と念仏のように言い続けられていたこの1年ほど。

同居人はいつも日曜日にスポーツクラブのテニススクールに行っていたけれど、遠いのとお金がかかるのとで辞めることに。

何か定期的に運動しなければ…となって、彼は走ることに決めたらしい。

少し前の日曜夜、一緒に走る?と聞かれてとりあえず「うん」と言ったものの、心の中に後悔の霞がもんやり。

着替える直前までさっきの返事を撤回しようと思っていたけれど、タイミングを逃し結局一緒に外へ。

走り始めて約5分で息が上がって歩行にチェンジ。

笑われるどころか、真顔で信じられないと言われた。

君はそりゃいいさ。女子並みの体重で余分なもの何にもなくて体軽いでしょうよ。

走る→ちょっと歩く→走る→歩く→ちょっと走る→家まで歩く…という感じで、30分くらい外にいて、走っていた時間は多分約10分。

それでも膝と足首が痛くなるという情けない状態だったけれど、夜は涼しいし、体を疲れさせるのは気持ちよかったのも確かだった。

先の日曜日が3回目。

明らかに長く走れるようになっているのですよ、これが。少しだけど。

「遅い」とか「もう歩くの?」とか、一緒に走る同居人にバカにされるのは変わりませんが。

走るのは主に住宅街の中。

お金持ちそうな家も多い界隈なので、「何この家…」的な邸宅もたまに見られる。

フェンスに絡まったジャスミンが匂う気持ちのいい夜の空気の中、「火つけたろか」「ああー金持ちになりたいー!」「株儲からへんかな」などなど怨嗟&煩悩ランニング。

そんなことを言いながらでも体はすっきりするのだからすごいもんだ。

ただ走るなんて、もっとも嫌な運動のひとつだと思っていたのに、ちょっとでも長く走れるようになると嬉しくて、またやろうと思ってしまう。

何だかうまく巻き込まれたような気がするけど…当分続けてみることにします。

東京はお好き?

同居人の大学時代の友人で、都内の大手企業で働いていた男子が会社を辞めた。

背が高くてかっこよくて、服のセンスもよく、代官山でモデルにスカウトされたこともあったくらいで、都内の面白い場所もたくさん知っていた。

会社を辞めた彼は地元の大阪に戻り、瀬戸内のとある島のプロジェクトにかかわろうと頑張っている。

その彼が、所用で東京に来たので、3人で会った。

「こんなとこで毎日激混みの電車乗って深夜まで残業して働いてたなんて、信じられへんわ」

「もう絶対住めへんわ、こんなとこ」

声が大きくてバイタリティがあって、新しいことをたくさん知っていた彼。

絶対に都会っ子で、東京も楽しんでいると思っていた。

でも、何かが違うと思いながら暮らしていたんだろう。

今はフリーの彼、貯金を頼る生活でも、なんだか解放されたようで楽しそうだった。

ある時、同居人がぽそっと言った。

「仕事がなかったら、東京に住むのはありえへんな。京都で十分やわ」

そうかもね、と軽く流してその会話はそれっきりになったけど、ちょっと引っかかった。

私は、まだ東京にいてもいいなと思う。

美術館がたくさんあって、おいしいものもたくさんあって、何でも売っていて、いろんな街があって…そういうのは楽しいから。

でも、何かの都合で違う場所に行くことになったら、あっさり行くと思う。

あんまり未練はない。

朝、混んでいる電車で気持ちががさがさしている時、夕方、会社から駅に向かう途中で同じような色の背広の人たちが歩いているのを見る時、ふっと同居人の言葉が浮かぶ。

私は、電車の中で人のカバンとか身体が触れることに対して、けっこう神経質だと思う。

だって、普通じゃありえない他人との距離。

仕方ないと諦めつつも、それに慣れることはなくて、嫌だと思う気持ちの量は上京当時から変わらない。

病気のせいもあるかも知れないけど、多分、子どもの頃から東京に住んでいたら、そこまで思わないんじゃないだろうか。

子どもの頃…私が育ったのは、人口密度のとても低い、山の中の小さな町。

空間的に窮屈な思いをしたことはほとんどないし、背広を着てる集団とか、全然いなかったからな。

1年後か10年後かわからないけど、いずれは東京から出ていくような気がする。

それまでは、しっかり楽しんでおこうっと。

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